TimesWarp 未来創造堂

僕らが生きて来た昭和・平成・令和。。

「あの頃、なにがあったのか!?」「ぼくらは、どんな時代を生きて、なにを見て、なにを体験してきたのか!?」

ぼくらが、生まれて、生き抜いてきた、各時代が教訓として教えてくれたこと。

『あの時代が教えてくれたこと』

そして、気づかずに、時代に埋もれて、忘れてしまったこと・・・

あの頃、君は・・・何をしていた!?


                By 未来創造堂

愛の国から幸福行き

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1973年(昭和48年)3月、NHKのテレビ番組『新日本紀行』で『幸福への旅〜帯広〜』として紹介されたのをきっかけに、愛国駅から幸福駅行きの切符が「愛の国から幸福へ」のキャッチフレーズとともに一大ブームになりました。

1974年10月20日、北海道旧国鉄広尾線の愛国駅で発売される幸福駅行き切符が大人気になり、愛国駅の発売乗車券が300万枚を突破したのがこの日。
帯広から十勝平野を南下するこの線は、愛国―大正―昭和―幸福駅へと続く。 いずれも北海道開拓地時代の町の名前をとったものです。

ディスカバージャパン

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 国鉄は1970年10月に万博終了後の旅客確保対策として、個人旅行拡大キャンペーン「ディスカバー・ジャパン」を開始した。

 ディスカバー・ジャパンは「日本を発見し、自分自身を再発見する」をコンセプトに、全国的に進められた。

 キャンペーンの副題は「美しい日本と私」

 このキャンペーンは広告代理店の電通が全面的にプロデュースを行い、副題も含めたキャンペーン名も電通の創案による。  ちなみに副題の「美しい日本と私」は、川端康成のノーベル文学賞受賞記念講演「美しい日本の私」をアレンジしたものである。

 このキャンペーンは 車内や駅のポスター以外に種々のメディアでも宣伝された。  駅スタンプはそれまで特定観光地にしか設置されていなかったが、このとき国鉄全駅に設置された。

 その他 機関紙の発行、新聞での特集記事、テレビ番組の設定などがキャンペーンを盛り上げるために実行された。

 キャンペーン開始と同時の10月に、国鉄提供によるテレビ番組「遠くへ行きたい」が始まった。  これは永六輔が一人で日本全国を旅して、各土地の名所紹介や住民とのふれあいをテーマにした番組だった(この番組は形を変えて現在も続いている長寿番組である)。

 永六輔が作詞した同名の主題曲とともに当時の国民の旅行への憧憬をさそった。


瀬戸内シージャック事件

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 発生:1970年5月12日

  日本で最初の旅客船乗っ取り事件。  また別名を「ぷりんす号シージャック事件」ともいう。

 山口県内で警察官を刺し、仲間と共に逃走した犯人の男性(当時20歳)は、広島市郊外で仲間が逮捕された後も、軽トラックの運転手を人質に取り、警戒中の警察官から拳銃を奪うなどしてなおも逃走を続た。

 さらに銃砲店からライフル銃と弾丸を強奪し、広島市の宇品港(広島港)に停泊中の、愛媛県今治市行きの定期旅客船「ぷりんす号」に乗り込み、乗船を阻止しようとした警察官に発砲、負傷させた上、船長を脅迫して出航させた。
 その後「ぷりんす号」は瀬戸内海で逃走を続け、呉をはじめとする沿岸には警察官が配置され、海上保安庁の巡視艇に追跡された後、愛媛県の松山観光港に入港した。

  ここで犯人は代わりの船を要求したが受け入れられず、かわりに乗客全員と引き換えに、燃料の補給を受けた(この時、船長は解放されなかった)。

 その翌日、ぷりんす号は宇品港に戻ったが、犯人は肉親の説得にも応じずライフル銃を乱射したため、犯人が一瞬下を向いた際に、大阪府警察から派遣された狙撃手に胸を撃たれ、病院搬送後に死亡した。

  日本で初めて、犯人射殺によって人質を救出した事件となった。 また犯人が狙撃される瞬間は、テレビ局のカメラに収録されており、衝撃的な映像となった。

ウォーターゲート事件

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発生:1972年6月17日
アメリカのワシントンDCのウォーターゲートビルにある民主党本部に盗聴器を仕掛けようとした5人組が逮捕。

この事件をきっかけにアメリカ政府の違法な諜報活動が摘発され、国防総省の対ベトナム秘密文書が明らかになるなど一連のスキャンダルが明るみに出ました。

米紙ワシントン・ポストが、当時のニクソン大統領の再選支持派が関与していた事実をスクープした。

ニクソン大統領自身の関与も明らかになり、下院司法委員会が弾劾決議案を可決したのを受け、大統領は1974年8月、辞任。

取材に当たったワシントン・ポストのボブ・ウッドワード記者らに対して極秘情報を提供した「ディープ・スロート」と呼ばれる内部関係者の存在が指摘されていたが、2005年、当時FBI副長官だったマーク・フェルト氏と判明した。

充実ぶりに、改めてアメリカ映画界俳優陣の層の深さを痛感。

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